わせまちマルシェ「後輩たちに届けたい言葉」(354)

みなさん、こんにちは。

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目次

政治学科と法学部の四年生が、高校三年生にメッセージ!

今日は、政治学科四年生のユイさんと、法学部四年生のハル君が、高校三年生の「文章クラス」の手伝いに来てくれました。

自身の体験から、「偏差値」の話をユイさんが、そして「文章」の話をハル君がしてくれました。

「偏差値」って何なのでしょう?「偏差値」って、誰が、何のために作ったのでしょう!

みなさんは今、「偏差値」という言葉にどれくらい影響を受けているでしょうか。模試の結果が返ってくるたびに、一喜一憂していませんか。「偏差値をあと3上げなきゃ」「このままだと志望校は無理かもしれない」。こんなふうに、数字に心を揺さぶられる経験は、多くの人がしていると思います。

実は、私もそうでした。私は政治学科の四年生ですが、高校三年生の頃は「偏差値」にかなり縛られていました。模試の判定がAなら安心し、CやDが出ると一日中落ち込む。まるで、自分の価値そのものが数字で決まってしまうかのように感じていたのです。

けれども大学に入ってから、いろいろな先輩(社会人)に出会う中で、私は思いました。「偏差値って、いったい何を表していたんだろう」と。

そもそも偏差値というのは、「集団の中で、自分がどの位置にいるか」を示す数字にすぎません。たとえば、1000人が受けたテストで、自分が上から何番目くらいかを、わかりやすく表したものです。平均が50で、それより上なら高い、下なら低い。ただそれだけのことです。

ここで大切なのは、「それ以上でもそれ以下でもない」ということです。

ところが日本では、この偏差値が特別な意味を持つようになっています。「偏差値が高い大学=良い大学」「偏差値が低い大学=価値が低い大学」。そんなふうに、学校そのものの価値まで決めてしまう傾向があります。

これは世界では見られない考え方です。

私は大学2年の時に、1年間、アメリカの大学に留学していました。

たとえばアメリカでは、「この大学は●●の研究が強い」「この大学は▲▲の教育に力を入れている」「この大学は■■のような国際的な交流が盛んだ」といったように、それぞれの特徴で大学が評価されます。つまり、「何ができる場所なのか」が大切にされるのです。

一方、日本ではどうでしょうか。多くの場合、「どのくらいの偏差値か」という一つの軸で判断してしまう。これはとてもわかりやすい反面、大切なものを見えなくしてしまう危険があります。

たとえば、私の高校時代の友人の話をします。

彼女は中学生の頃から法律に興味があり、「将来は、困っている人を法律で助ける仕事がしたい」と思っていました。本来であれば、自分に合った学びができる大学の法学部をじっくり探すべきでした。

しかし彼女は、「偏差値が高い大学に行くべきだ」と周囲に言われ、自分の興味よりも偏差値を優先して、東大の文学部(文三)に進路を決めてしまった。結果として、「何のために文学を勉強しているのかわからない」という状態に陥ってしまいました。

これは、とてももったいないことです。

さらに言えば、偏差値には「限界」もあります。模試で偏差値70だった人が必ず合格するわけではありませんし、偏差値50だった人が合格することもあります。試験当日の体調や問題との相性によって、結果はいくらでも変わります。

つまり、偏差値は「未来を確定させるもの」ではなく、「あくまで目安」にすぎないのです。

では、私たちはこの「偏差値」と、どう向き合えばよいのでしょうか。

私はこう考えています。偏差値は「道具」として使えばいい、と。

地図のようなものだと思ってください。地図があれば、自分の現在地や目的地までの距離がわかります。でも、地図がすべてではありません。どの道を通るか、どこに寄り道するかは、自分で決めるものです。

偏差値も同じです。「今、自分はこのあたりにいるんだな」と知るためには役に立ちます。でも、「どこに行くのか」まで決めてしまってはいけないのです。

ここで、もう一つ大切なことがあります。

それは、「数字で表せない価値」を大事にすることです。

たとえば、「この先生の講義を聞いてみたい」「この分野を深く学びたい」「この研究環境なら、自分は成長できそうだ」。こうした感覚は、偏差値では測れません。でも、人生にとってはとても大切なものだと思います。

私自身、大学に入ってから、自分の興味に正面から向き合うことで、勉強がぐっと面白くなりました。机上の勉強だけでなく、政治学科の先輩(卒業生)たちが選挙に出るたびに、選挙事務所のスタッフになり、現場で実際の政治活動の一部を観察することができました。「この候補者(先輩)は、誰のために何をしようとしているのか、できるのか」「この候補者(先輩)は、政治家になり、どのように社会に貢献をしようとしているのか、できるのか」と考えるようになったとき、初めて「政治と人間」について学ぶ楽しさを実感できたのです。

私の場合も、もし合格していた、今よりも偏差値の高い国立大学の他学部に進路を決めていたら、こうした出会いはなかったかもしれません。

みなさんは今、人生の大きな分岐点に立っています。不安になるのも当然ですし、「失敗したくない」と思うのも自然なことです。だからこそ、わかりやすい指標である偏差値に頼りたくなる気持ちもよくわかります。

でも、少しだけ立ち止まって考えてみてください。

「自分は何を学びたいのか」
「どんな人になりたいのか」

この問いに向き合うことが、実は一番大切なのではないでしょうか。

偏差値は、あなたのすべてを表すものではありません。あなたの可能性は、数字よりもずっと広く、深いものです。

だからこそ、偏差値に振り回されるのではなく、偏差値を上手に使いながら、自分自身の進む道を考えてください。

受験はゴールではありません。むしろ、その先の人生のスタート地点です。

そのスタートを、「数字」ではなく、「自分の意志」で選んでほしいのです。

文章を書くときの心構えを一つ、紹介します!

みなさん、こんにちは。

これから、この教室で「文章」を学ぶみなさんに、「文章を書くときの心構え」について、私自身の経験をもとにお話します。

文章を書くことで身につけられる力が、就職活動で一番役に立ちます!

みなさん、まず、少し考えてみてください。同じことを言っていても、「誰が言うか」によって、その言葉の重みは大きく変わります。たとえば、総理大臣が「税金を下げるべきだ」と言うのと、私たち学生が同じことを言うのとでは、受け取られ方はまったく違いますよね。新聞記事でも、最後に専門家のコメントが載っていることがあります。これは、その人の「立場(肩書)」や「実績」が、言葉に重みを与えるからです。

では、まだ実績のない学生が書く文章には、価値がないのでしょうか。そんなことはありません。ここが、今日いちばんお伝えしたい大切なポイントです。

文章にとって本当に大切なのは、「有名な人が書いたかどうか」ではなく、「その人自身の言葉で書かれているかどうか」です。

私は大学三年生のとき、あるレポートで失敗をしました。「最近の若者は読書をしなくなった」というテーマで書いたのですが、最初の一文を、こんなふうに書いてしまったのです。「現代の学生は、読書習慣を失いつつあり、これは由々しき問題である」。いかにもそれらしいですよね。でも、書きながら自分でも感じていました。「これ、本当に自分の言葉かな」と。

私が書いた文章の評価は、よくありませんでした。担当の先生からこう言われました。「きれいにまとめてあるけれど、あなた自身が見えない」と。

そのとき、はっとしたのです。私は、「正しそうなこと」を書こうとして、「自分のこと」をまったく書いていなかったのです。

そこで書き直しました。今度は、「読書」について、自分自身のことを正直に振り返りました。「私はスマートフォンばかり見ていて、本を開く時間が減っている。でも、たまたま読んだ一冊の小説に救われたことがある」。そんな体験から書き始めたのです。

早稲田大学一年生のための就職準備「日本語」実践講座

すると、評価は大きく変わりました。「あなたの言葉になっている」と言っていただきました。

ここからわかるのは、文章の「重み」とは、肩書きではなく、「どれだけ自分自身と向き合っているか」から生まれる、ということです。

大学生になると、たくさんのレポートや論文を書くことになります。たとえば法学部なら、法律の条文や判例を正確に扱うことが求められますから、「正しさ」がとても重要です。でも、それと同じくらい大切なのが、「自分はどう考えるのか」という視点です。

たとえば、「この判決は妥当か」という課題が出たとき、教科書の説明をなぞるだけでは足りません。「自分ならどう判断するか」「なぜそう思うのか」を、自分の言葉で書くことが求められます。

最初は難しく感じるかもしれません。でも大丈夫です。特別なことを考える必要はありません。まずは、「自分はどう思ったか」「どこに引っかかったか」を、素直に言葉にしてみてください。

文章を書くときには、「上手に書くこと」よりも、「自分の中にあるものを、ていねいに言葉にすること」を一番に考えてください。

みなさん一人ひとりの経験や考えは、それだけで価値があります。どうか、「正しそうな文章」を書こうとするあまり、自分の声を消してしまわないでください。

みなさんが書く文章には、まだ誰も持っていない「あなた自身の視点」があります。それこそが、読む人にとっていちばん面白く、価値のあるものなのです。

「自分の言葉で考え、書く力」を、ぜひ大切に育てていってください。応援しています。

5月生:早稲田大学の学生のための「マスコミ合格・添削入門講座」オンライン

元朝日新聞編集委員故西村欣也氏
元朝日新聞編集委員故西村欣也氏

●故西村欣也氏  ●元朝日新聞編集委員  ●五輪取材経験7回・プロ野球取材30年

●朝日新聞スポーツ面に、署名入り記事「EYE西村欣也」を20年執筆してきた。

●著書 朝日新聞が伝えたプロ野球(小学館)  神の領域を覗いたアスリート(朝日新書)

●イチロー、王貞治、長嶋茂雄、清水宏保、橋本聖子、ダン・ジャンセン、ボブ・ヘイズなど

有名選手を取材してきました。

「受験対話」総合研究所では、26年前から、西村欣也氏の文章を使って、「大学生のことば」を

育ててきました。大学に入学する前から、「自分のことば」を育てる努力を始めると、就職活動時

に、あなたの「自己PR」を読んだ採用担当者から、「キミに会って、話をしてみたい」と連絡がきます。

マスコミをはじめ一流企業の担当者から、「会って、話をしたい」と言ってもらえるように、西村氏の

文章を使い、君に合わせたカリキュラムで授業を行います。早稲田大学の学生諸君、楽しみにしていて下さい。

【故西村欣也氏からあなたへのメッセージ】

確かに、今はネット時代と言われています。

トランプ大統領のツイートに、世界が右往左往しています。

しかし、ニューヨークタイムズなどは言論で、論陣を張り、世論の支持を得ています。

新聞だけではありません。CNNなども、トランプに「フェークニュース」と呼ばれても、事実を伝えています。

まだマスコミには底力があるのです。

僕は、主にスポーツを取材してきましたが、ニューヨークタイムズの新人記者はまずスポーツ部門に配属されます。

そこに人生が凝縮されているからです。

僕は、朝日新聞で長年、小論文の採点面接をしてきました。(やらされてきました)

マスコミ受験には、特に「書く力」が問われます。

門は狭いですが、今までの経験を生かして、スタートラインにつきたいと思う学生のアシストができれば、と思います。

(故西村欣也氏・記)

■5月生 

■個別指導(オンライン)  1回 80分

■費用    スタート講座 入会金:15000円   月謝22000円(消費税込・教材費含)

■まずは、お問い合わせください。

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